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2011年02月12日

琉球処分の松田道之から、名前を通じてのメッセージ

私は、自分の名前には秘密が隠されていると気づいていた。

20年前にアフリカの方から言われた私の名前の意味、http://a1004.ti-da.net/e3316030.html

友達が見た逆さまに読む暗号の私の名前の夢http://admin.ti-da.net/admin/entry.php?entry_id=3317435

私が見た、ち~ずのちは十字架ですとの夢

このような理由からも名前は大切だと非常に思っていた。
今回の珍会の名前と会旗にこだわらなければこのような苦しい思いをしなくてもよかった。

 でも、なぜか非常に気になり、守らなければならないと思えた、珍会とい会名、そしてシンボルの会旗、

予感や共鳴現象などから、私はある日まで、私は琉球国のノロか、かみんちゅの末ゑか、琉球国王家の血統ではないか、さぞかし立派な先祖でもいるのだろうと、夢も画いていた。

すると姉が

「ち~ず、 琉球国を滅亡させた人って誰だかわかる?」と聞いて来た。

「わからないけど」

「まつだ、、だって」

「え~~~~、そんな~~~、、まさか~」

「本当だよ」

「私の使命、、琉球王にちゃんと指示を出さなかったノロじゃなかったんだ、まつだって人が、、偶然じゃないよね、意味があるはずよね、同じ松田なの」

「そうみたい」

~~~
松田道之は,元々は松田家のうまれではなく養子に入った。その松田家に養子に入った道之の手によって琉球王国は終った。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E9%81%93%E4%B9%8B

彼が精神的なストレスを受けた理由は、無力な琉球王国に止めを刺した事だろう。琉球民族が戦いを挑んでいたのならわかるが、非武装の琉球を武力で脅した事は、どれ程彼の良心の呵責が彼を蝕んだのかがわかる。

 
琉球こそが今の世界の要だと思う私、そして私は琉球人で松田、その私になぜか、名前を通じて送り届けられているようです。琉球国の名前と、国章を消した事への自責。深い悲しみと失望の波動が強く残り私まで送り届けられたようです。閃いてほしいと、、

 私には琉球国のためにも、彼のためにも、素晴らしい閃きがあるから、この立場にたたされているのだろうと思う事にした。

だから両方の立場に立つのだろう

そして

同じ道を行くのだろう

素晴らしく解決しなければならない、なんとしても、、両方に納得がいくような
道はあるはずだ。

うやむやにしてもいけない、片方だけにいい閃きでもいけない
両方が感動する閃きがあるはすだ。


http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-153907-storytopic-6.html
近代国家の論理で、清を捨て、日本への帰属を主張する琉球処分官・松田道之に対して、 王国の政治を担った三司官は「琉球王国は日本と清の子、どちらも欠かせない」と反論し、清国に支援を要請し各国の外交官に働きかけるなど必死の抵抗を続け た。しかし1879年、明治政府の武力を背景にした松田の威圧によって首里城を明け渡し、王朝は滅亡する。

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琉球処分から3年後、43歳で若くして松田道之は亡くなった。
だれでも、きっと同じ立場で、武士道精神を学んでいれば自分の卑怯さで苦しくなるだろう。これは日本人が世界に誇れる素晴らしい精神性である。だから日本人は卑怯であってはならない、精神性が高い民族だから卑怯は命取りになる、卑怯でさえなければどの民族より強いが、卑怯になった瞬間、自分で自分を蝕み敵がいなくても滅びる。

琉球国と松田道之のために
唯一、私が閃いた事は
琉球国が世界の母の立場だから、自分や、名前を消して、子供を育てていく使命があるという事だった。

 清や、日本、どちらも琉球の子、どちらも欠かせない、これが本当だったと、相手の苦しみがわからず、自分が生きていくために与えてもらったと言う事は、精神性の面においては、与えた方が親となる、当時の清や日本の精神性が子供だから与えたのだと。
奪われたのではない、命をちじめて、、与えたのだと。

奪われたと言う事もできる、与えたと言う事もできる
その言葉で次の世代がどちらかの実りを刈り取る。

http://yaeyamanow.nanpusya.com/?p=271
 もはやこれ以上は猶予はならぬという状況に陥ったのは、明治11年大久保内務卿が不平士族に暗殺されるという驚愕の事件が発生したからである。大久保はかつての薩摩が侵した琉球への行為に自責の念があったのか、今回の廃藩置県問題では慎重派で琉球側が遵奉するという形をとらせることにこだわっていたというのは前述のとおりである。松田もこのことを銘記したうえで職務を遂行してきたが、大久保の死に直面して一刻も早く琉球の廃藩置県を実現しなくては、故人も浮かばれないと思わざるをえなかった。
また、大久保のあとを襲った伊藤博文内務卿はこの琉球問題にこれといった思い入れはなく、「もはや琉球藩の廃藩置県は手続き上の問題である。警官でも軍隊でも導入してさっさとかたをつけるべし」と強気であった

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E5%88%A9%E9%80%9A
大久保利通
金銭には潔白で私財をなすことをせず、必要だが予算のつかなかった公共事業に私財を投じ、国の借金を個人で埋めるような有様だったため、死後は8,000円もの借金が残った。ただし残った借財の返済を遺族に求める債権者はいなかった。政府は協議の結果、大久保が生前に鹿児島県庁に学校費として寄付した8,000円を回収し、さらに8,000円の募金を集めてこの1万6,000円で遺族を養うことにした。


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ちずこ(2017-03-21 21:19)


Posted by 白銀龍 at 13:41│Comments(0)名前の謎
 
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