てぃーだブログ › 白銀龍の足跡 › 白銀龍 › 白銀龍の夢

2011年01月08日

白銀龍の夢

さて、久しぶりのどっかのお爺の夢をみたけど、今日はあのお爺の夢もついでに書いておこう。2009年12月に見た夢です。

主人と私は日本に帰って、父からなにやらプレゼントか何かを相続していた、すると隣の人が訪ねて来てくれて、その人の仕事を見せてくれた、掃除をする仕事だった、その人は大金持ちの家を掃除するようだ、ある大金持ちの家を案内してくれるので庭に回って家の中を大きな窓ごしにみると中の飾りだなに綺麗な三線が三つ飾ってあった。真ん中に大きな三線、前に中ぐらい、後ろに小さな三線が飾ってあった。いつのまにかその家の持ち主の白人の老人(引退した牧師)が一緒にいて、その三線は日本に行った時、手に入れた大切な物だと教えてくれた。その話を聞いた後、私はよくその三線を見なおした、その三線は結納品のように美しく、輝く白金とも白銀ともいえるような色をしていた、もっとよくみると、それは白銀龍の化身だった。

初めて龍の夢を見た。
主人にこの夢を話すと、老人は神様を象徴しているように思える、、との意見
私もそう思った。


この夢の半年以上たった2010年の9月のある日、娘が夢を見たと私に知らせてくれた、私が竜巻に巻かれて死ぬという夢だった。その月になんと違う方法だがすでに私が死ぬと3回も姪や息子からも聞かされていたので、私は自分の新しい出発の予感と、白銀龍が近くにいる気配を感じ始めた。。。。




1月8日朝2時半ぐらいに見た空港に行く所だけど坂道をワゴンを押して私は空港に向かった、主人と娘は先に行っていた。私がワゴンをおしていたので、他の乗客が何故主人が押さないのか噂している、主人は体の調子が悪いから押さなかったようだ、空港で主人は窓をふいている、空港で赤い花粉が出る木があって空港管理者がその粉をバキューム車のようなもので掃除しているが、飛び散っている、娘は花粉症のようで、空港内のビルディングに入って非難した。主人が拭いたドアのガラスは非常に綺麗だった、そのドアの向こうに海と建物がみえ夕日が雲の合間からみえる、私は幸運にも夕日が沈む所をちらっと見た、そのあとすぐ、もう一回同じように夕日が沈むのをみた、するともう一回、、どうも3回みたように思い、地球の異変で3回も夕日が残像として3回見えるようになったのかと思った。私は、娘にお姫様は他のお姫様とお妃様以外にお話してはいけません、王子様は他の王子様と王様としか話してはいけませんと、姫さま躾けをはなしていた。

この夢の前に、生きる喜びを失ったお爺を一生懸命世話をしたら、お爺は元気になってお爺の2人の姉妹を引き取った。お爺は老人が集まって住む老人のアパートに住んでいたが隣のお婆さんが鍵がおかしいからといって暫く違う部屋に移るというので、お爺はそこを貸してもらって、自分の部屋を姉妹に貸して自分はそこに住んで、姉妹を世話した。という夢も見た。








夢というのは本当に楽しい、起きている時にインプットした情報を整理しているようだが、存在意識の中で特に重要な出来事を教えている時もある。夢世の世界とあの世の世界、そしてこの世の世界、、おもしろい




かみんちゅの勉強↓

ゆたとかかみんちゅっってどんな方々かはっきり知らなくってはなりようもないから、これもしっかり勉強してみよう




沖縄や先島諸島などの琉球諸島や奄美諸島にかけて古くから存在する民間の巫女・シャーマンのこと。いわゆる霊能者的存在で、運勢の吉凶を判断したり、死者の口寄せ、先祖事などの霊的相談(判示と呼ぶ)に応じる。

地域によって呼ばれ方はさまざまで、ムヌシリ(物知り)と呼ばれたり、宮古諸島では「カンカカリャ?(神懸かり)」「ムンスイ(物知り)」「カンヌプトゥ?(神の人)」などとも呼ばれる。

ユタは、その歴史を通じて幾度も弾圧されてきたこともあり、ユタという言葉は蔑称的意味合いを含むととられる場合が多い。そのため、一部の人々の間では、代わりにカミンチュ(神人)という呼び方をしている。http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%E6%A5%BFと書いてあった。。。google:沖縄+ユタ


かみんちゅとゆたは同じって事のようだ、、ではノロはどうだろう

琉球王国の第二尚氏王朝の第三代国王、尚真王時代に制定された神職。琉球の信仰はアニミズムと祖霊信仰を基本とするもので、海の彼方のニライカナイと天空のオボツカグラの他界概念を想定する。これらの他界に太陽神(ティダと呼ばれる)をはじめとする多数の神がおり、また生者の魂も死後にニライカナイに渡って肉親の守護神になるとされる。こうした神々は、時を定めて現世を訪れて豊穣をもたらし、人々を災難から守護すると考えられている。宗教概念上、ノロはこれら琉球の神々と交信することのできる存在であり、また祭祀の間はその身に神を憑依し、神そのものになる存在とされている。そのため、ノロは神人(かみんちゅ)とも呼ばれる。

ノロは、しばしば「巫女」と訳されることがあるが、ノロは現在、本土でみられる神道の巫女にイメージされる神主の補佐役や雑務役ではなく、司祭そのものである(本土の巫女も元々はノロと同様の存在であったと考えられている)。民俗学では「祝女」の当て字がされるが、これは男の巫を意味する「祝」の女という表意になる。これはノロの性格が本土でいう巫女よりも男性神職に近いためであろう。なお神と交信し、神を憑依させることができるのは女性に限定されているため、神官であるノロはすべて女性である。現在、ノロのほとんどすべてが年配の女性もしくは老女であるが、王国時代にはノロの婚礼といった記録もあるhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%AD



フムフム、、、かみんちゅって呼び名はけっこう便利に使っているようだ、、これからはかみんちゅになりたいと言えばいいのかな、、

神がかり、かんだりぃになってこの特殊な能力を身につける方々が多いようだけど、何故かんだりぃにならないとこの能力は身につかないのだろう、沖縄県民がみんなかみんちゅだったとしても皆がこのかんだりぃを通過するのでは県は経済的にも破綻するだろう、なんたってかんだりぃになっている人たちは沖縄以外では精神病院に入れられてしまうか、薬で治療させられてしまう可能性が多いからだ、、

このかんだぁりぃを通過した方々の脳というのは、以前NHKの脅威の脳で見たが、普通の人は話すとき、絵を描くとき、空想する時、それぞれ右脳とか左脳とかの働きが違ってくるようだが、ユタの脳は、話はじめても、脳は芸術とか絵とかを感知する脳が作動していて言語の脳はあまり作動していなかった。この力なのだと思う。。この脳の特別回路を強くすれば直感や霊感も強くなりそうだ、、この脳の特別司令室のドアを開けるために、宗教家などは修行をするのだろうが、、簡単でなければ、皆がかみんちゅになるのはむずかしい、、


やっぱ、2012年の地球波動アップでも待つか、、


同じカテゴリー(白銀龍)の記事
ち~ずのメモ(龍)
ち~ずのメモ(龍)(2011-03-03 10:36)


Posted by 白銀龍 at 17:25│Comments(2)白銀龍
この記事へのコメント
ウサギや^-だった祖母を持つ娘 (45歳)が 時々 救急病院行くほどの原因のわからない  ( 10年前から )腹痛でなやんでいます、CTや あらゆる方法で(レントゲン)5か所の有名医者にもみてもらったのでしがますが 異常なしといわれました;ゆたになるべきか  わたしは  68歳 娘を助けたいが ゆたをたのんでみたほうがいいのか だれか たすけてください9 
Posted by 大城 at 2013年05月17日 17:02
大城さんメールありがとうございました。
5月にメールを下さったようなのに本当に申し訳ありません、
最近まで気づきませんでした。
急いで、大城さんの娘さんへの共鳴現象をしらべ、きにしていましたら、何故か姉が、面白いブログをみつけたよ~~と精神世界の鉄人というブログを姉から紹介されました。
私たちは、皆どこかで繋がっていると思います。大城さんの娘さんの痛みが治まるきっかけがみつかる何かがあるのではないかと思っています。
この精神世界の鉄人を書いておられる方は沖縄出身の方で、現在ののゆた、かみんちゅの頂点に近い方ではないかと私は、思っています。
http://www.tomaatlas.com/lib91.htm
この方に一度コンタクトをとったらいかがでしょう?
Posted by 白銀龍白銀龍 at 2013年06月17日 22:41
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。